皆さん、こんにちは。サーバルです。
寒さが増す季節となりましたが、今年の夏の思い出を振り返って
みたいと思います。良かった点は2つ。
一つ目は、4年ぶりに8月末の新日本キックボクシング協会ディ
ファ有明興行に行けたこと。ここ3年、Krush名古屋興行と日
程がかぶり行けておりませんでした。
今年は8月30日(日)、有明コロシアム前にあります公園の蝉の
声を聞けました。ただし、今年はこの時期なぜか涼しく、そこがち
ょっと残念。蝉も心なしか控え目な鳴き声。まだまだ暑過ぎる残暑
の中でこの蝉の声を聞けますと、往く夏を忍べたのですがね…。
もう一つは、長くなりますので次回にて。
(ここより格闘技マニア向け話題)
「小林家さとし落語鑑賞」
10月24日(土)、浅草にて落語を鑑賞いたしました。「小林家
さとし」こと、元キックボクサー小林聡氏が登場と聞きつけ行って
きました。
情報元は、私のおやじファイト試合に毎回駆けつけてくれます、
新宿思い出横丁のTシャツ屋・吉田商店店主こと吉田氏より。
吉田氏は私にとりましては千葉(センバ)ジム時代の後輩であり
ますが、小林氏にとりましては藤原ジムの後輩。吉田氏は千葉ジム
より、習志野ジム、藤原ジムと有力ジムに移籍したため、立嶋篤史
選手や小林聡氏と懇意にされている方なのです。
連絡は吉田氏よりの急な電話でした。着信に気づいて折り返しま
すと、「今から新妻聡さんが刀を使った殺陣の舞台に出ますが、一
緒に見ませんか」というお誘いでした。さすがに今すぐ都内に出る
調整はつかず断念しましたが、吉田氏は小林氏と一緒に見るという
話で、小林氏もまた落語の舞台を控えているとの情報を得たわけで
す。
ちなみに、この新妻氏ですが、現在は舞台活動を行っており、キ
ックボクシング界からは完全に離れてしまっているとのことでした。
後日、ネットで調べますと、小林氏登場の舞台は浅草東洋館での
若手お笑いライブの中で行われるものと判明。HPには細かい出演
者タイムスケジュールが出ており助かりましたね。
この日はたまたま興行のない土曜日でしたし、午前中の仕事が早
く終わるように調整して浅草へ向かいました。(吉田氏はTシャツ
の仕入れに渡タイ中にて欠席)
到着しますと、入口には道化の芸人さんがおり、エレベーターに
て4Fに。かなり年期の入った建物でしたが、後から分かったこと
では、ここの前身は浅草フランス座。伝説のストリップ劇場でして、
つまりはここでエレベーターボーイをしていたのが、かのビートた
けし氏なのですね。
入場料金は2500円。格闘技興行に比べますとリーズナブル。
しかし、中に入ってびっくり。ちょっとした大教室くらいの狭い場
内に客もまばら。ざっと数えますと25人くらいでしたか。後楽園
ホールに比べましても本当に小さな小さな世界でありました。
念のために「てらかわよしこ先生がいたりして」との淡い期待で
ぐるりとキック関係者を探してみましたが、さすがに私一人のよう
でした。
客層は完全に高齢者の方々。若手ライブではありましたが、出演
者も年期の入った苦労人といった芸人さんが多かったのは浅草とい
う土地柄でしょうか。
これが新宿のルミネtheよしもとなどでしたらアイドル的な若
手芸人に黄色い声が飛ぶところなのでしょうが、高齢者層の皆さん
は落ち着いて拍手などしております。
出て来る芸人さん達は皆、テレビ出演とは縁遠いオーラではあり
ましたが、しかしここから這い上がりたいという必死さは伝わりま
す。そんな中、小林氏の出番が近づいて来まして、こちらまで緊張
してきました。
座布団がひかれ、小林氏が登場。完全にオーソドックスな落語ス
タイルでして、始まると安心して見ていられました。それまで漫才、
コントが続いており、この安心感は空手の「型」同様、落語という
「型」がしっかりしているゆえんかなと思いました。
始まりに小林氏は、「昔キックボクシングをかじっておりまして」
の一言。小林氏がかじった程度ならば、私は「半径1キロ圏内に近
づいた程度」ではと思いましたが、この際どうでも良し。
前半はオーソドックスな展開。吉田氏より「キックネタがありま
すよ」と聞いておりましたが、私の想像とは違った形でキックネタ
が始まります。私の想像では、キックボクサー個人や業界について
のネタが挟まるのかとも思いましたが、そもそもお客さんに共通理
解の基盤がなければ笑いに持って行くのも無理な相談でしたね。い
きなり藤原敏男会長をいじっても伝わりませんもの。
後半の話がキックネタで、父と子が天神様に行く途中、「キック
屋」なるものを発見し入ってみる話。店員がタイ人で、「サワディ
カップ」とワイをして出てくるのに小さな笑いも起こっておりまし
たが伝わったかな?
父が値段を聞くと、タイ人が「800…」と言いかけ、父が「高
いな」と返すと、店員が「…バーツ」と言い足すシーン。小林氏も
分かって作っていたのでしょうが、800円より800バーツの方
がより高いという。(800バーツ=約2800円)
日本人がタイ国に持つ「物価が安い」感覚を表していたのでしょ
う。
このお店はキックミットが出来る店で、子が蹴り父がミットで受
けるシーンが始まります。小林氏は両腕を振り、子が放つ右ミドル
連打の様子を熱演。それを父が両腕を立ててキックミットで受ける
様を交互に演じます。私には「絵」が見えておりましたが、他のお
客さん達はどう感じたのでしょうね。
落語ですから座布団に座り演じる小林氏の脚は正座状態ですが、
なぜ「右ミドル」と分かるのかと言いますと、ミットを蹴る際に右
手が伸ばされ、左手がアゴの脇でガードに使われていたからなので
すが、格闘技を知らない人が見たらどう感じたものか知りたい気も
しました。
小林氏の出番終了後、特に目的がなくなった私はどうしようかな
と思っておりますと、少しして帰り支度の小林氏が現れたのを発見。
私も退席し、エレベーターにて追いつき一緒に降りつつ言葉をかわ
せました。キックマニアとして見に来ていた私に小林氏は驚いてい
ましたね。
小林氏と別れて浅草駅に向かいます。人力車の車夫が多数おり、
もちろん私は人力車ファイターであります、SB日本S・ウェルタ
ー級王者、坂本優起選手がいないか探しましたが当たり前ですが簡
単には見つからず。でも充実した気持ちにて帰路につきました。
後日、吉田氏を通して小林氏が喜んでいたという話を聞き、連絡
先を教えてもらいました。それゆえよく分からない展開ですが、今
回より小林氏にも「サーバル通信」の読者に加わってもらっていた
りします。
(ちょっと長い追記)
私は常々、野球やサッカーに比べてマイナーな格闘技をやってい
るという自覚からでしょうか、現役時代「せっかく試合をするなら
後楽園ホールが良い」との思いが強いものでした。
それもあり今思うと「お前は何様?」という話なのですが、治政
館移籍時は長江館長に「後楽園ホールで試合を組んでください」と
直談判したこともあります。自分の実力を冷静に考えますと「ふざ
けるんじゃねぇ」という話なのですが、長江館長には真面目に対応
していただきました。(当時の新日本キックボクシング協会は、妙
に小さな会場開拓に走っており、屋台村ヨンドンや越谷ギャザホー
ル、東京マリン特設リングなんてのもありました)
この考えは、実はおやじファイト出場を決意した39歳まで続い
ておりました。「せっかくきつくて痛い思いをするのなら、扇橋ホ
ールみたいな小さい会場ではなく音響も良い新宿FACEでやりた
い」と思っていたわけです。
その呪縛が解けたのは、ついここ2年といったところです。「せ
っかくならば、○○で戦っている姿を見て欲しい」という他者視線
の欲求が消えまして、より純粋に「自分が戦いたいだけ」の気持ち
になれたのかもしれません。
ですから、まばらなお客さん相手に「戦っている」小林氏の姿は、
逆に魅力的に映りました。フィールドを多様に変え戦う姿からは、
「小林聡は『キックボクシング』というジャンルを越え、『小林聡』
としか言いようがないジャンルを作り出している」とトークライブ
にて語っていた「格闘技通信」オランダ通信員、遠藤文康氏の言葉
も思い起こさせました。
最後に、私が10代で出会った、ザ・ブルーハーツ1stアルバ
ムに収録された「世界のまん中」という曲、その曲の中で歌われる
「今自分がいる場所は、“世界の片隅”ではない」という肯定の気
持ちを、小林氏の姿を見ながら確認できました。
ずっと“世界の片隅”で生きているような気持ちでいた私、やっ
とやっと戦う場所にこだわりもなくなり、25年もかけてこの歌詞
の真の意味を飲み込めたのかもしれません。
小林氏が精魂込めて「戦っていた」場所は、うらぶれた小ホール
ではありましたが、決して“世界の片隅”ではなかったからです。
(以下、引用)
僕が今見ているのが世界の片隅なのか
いくら探したって そんな所はない
―――甲本ヒロト「世界のまん中」
(2015・12・6)